『わたしをOyOyにつれてって』


#6 たびたび

もしこの文章が、明確なプロモーションだったり、インフルエンスする人のものだったりするなら、紹介する内容は「今店に行って食べられるもの」にするだろう。

刺激に対して、反応の行動先を用意する。これが宣伝の基本だ。しかし、ここの内容はたいてい時季外れで、公開するタイミングでは食べられないものが多い。(OyOyのメニューは毎月変わる)

これは、先入観を持ったり予習をした状態で同じものを食べても、その人のおいしさが減衰すると思っているからだ。決して、書くのが遅いわけではない。

例えるなら、ガイドブックに載っている観光名所の写真や動画をたっぷり見た後でその場所に行き、「予習した通りだったな」と確認するようなものになってしまう。

それは「旅行」としてなら成り立つかもしれないが、「旅」にはならない。「旅」には必ず未知が必要で、OyOyの料理を楽しむには、その未知が必要だ。料理におけるネタバレとは、メニューや作り方ではなく、未知に出会ったときの、誰かの主観的な感想だ。自分の分のそれが残っていないと、本来のおいしさは味わえない。決して、書くのが遅いわけではない。

そう自分を納得させたところで、今回は「葉つき玉ねぎ」を振り返る。

たびたび、「いちばん好きな野菜は?」と聞かれる。答えは季節や気分によって毎回変わるけれど、ここ最近はダントツで「葉つき玉ねぎ」だ。

葉つき玉ねぎとは、まだ葉っぱがついた状態で、早めに収穫した玉ねぎのこと。文献にも次のように説明してある。

玉ねぎの玉の部分がふくらむ途中で収穫される、早獲りの玉ねぎのこと。ふくらみの上の青々とした部位は、ねぎのような見た目。こちらもおいしい。

そう、かんたんにイメージするなら、上は青ねぎ、下は小さめの玉ねぎの、なんともお得な野菜。

けれどもちろん、味は「青ねぎ+いつもの玉ねぎ」ではない。春の「新玉ねぎ」とも違う。味の主張は控えめなのに、食べたときに広がる味の空間は、いちばん広い。これから生長するその可能性と伸びしろが、内側から風味を押し広げるようなおいしさがある。

さて、ではこんな特異的な野菜を、OyOyはどう料理するのだろうか。

「葉つきたまねぎの米粉フリット」
違いを楽しんでいただきたく、根元と上部を分けて、それぞれフリットにしました。成長途中ならではの、やわらかくすっきりとしたフレッシュなおいしさをお楽しみください。

なんと、これでもかというくらいシンプルな手法で挑んできた。自分の感覚では、おそらく下味も付けてないのではないかと思う。もし隠し下味があったとしても、よけいな味付け感はない。

しかしこれ、料理の「手間」としては、他のものより楽かもしれないが、ここまで野菜を信頼した料理を提供するのは、簡単ではない。ふつう、なかなか捨てることのできない「作り手のエゴ」は、どこにいったのだろう。

そしてこの、一つの野菜を二種類のフリットにした料理は、葉のぎゅっと詰まったおいしさと、根元の空間を包むようなおいしさの対比が感じられ、「これが一つの野菜なのは、びっくりするわ!」という感想になる。

家で葉つき玉ねぎを料理するときは、それぞれを別の料理にしてしまうので、同じ調理法にすることで実感するこの感覚は、はじめてだった。これが、「野菜をおもしろがる」という視点なのか。

食べる前にはまったく想定していなかった未知と出会い、僕の「おいしい」は確立した。だからよけい、おかわりがほしい。

葉つき玉ねぎが食べられるのは、春を待ち望むこの時期。(はい、これは3月のメニューです。決して書くのがおそ…)
梅や筍のように、「今年もこの時期がやってきたなぁ」と思える野菜として、僕は葉つき玉ねぎを推していきます。

#5 ほくほく

あなたは、里芋を蒸して、炊いて、揚げたことがあるだろうか。それぞれの調理法で食べたことがあるか、という意味ではない。ひとつの料理を作るのに、蒸して、炊いて、揚げたことがあるか、と問うている。

おいおいおい、料理というは、その材料を前にして、どの調理法を選ぶか、というものではなかったのか。今日は蒸してみようか、今日は揚げてみようか、そういう選択ではなかったのか。僕はそうだったよ。しかしここはOyOyだ。3つの調理法を、いっぺんに試みる、なんてことも起こるのだ。

「里芋とマッシュルームの米粉フリット」
里芋はじっくりと蒸してからマッシュルームと共に、ポルチーニ茸と麹で作った出汁で炊きました。米粉の衣でからりと揚げてお出しします。出汁を含んで揚げた里芋はねっとりホクホクで、思わず顔がほころぶおいしさです。

結論から言おう、そりゃぁ、ほころぶって。

この「ほころぶ」には、「笑顔になる」に加えて、「さえずる」という意味もあるらしい。僕は「うまっ」と、さえずった。

では、ひと鳴きしたところで、落ち着いて考えてみたい。

まず「蒸す」。
蒸すとは、水蒸気が凝縮するときの潜熱によって食材を加熱する方法だ。気体からの熱をもらうため、調理法の中では、最も味や形を変えずに加熱できる。ふむふむ、まずはこれで、素材としての里芋のおいしさを閉じ込めると。

ただ、「蒸す」では味が付けられない。だから次にやってくるのが「炊く」だ。

前回にも書いた通り、揚げ物の香ばしさと、野菜がもつ風味、両者を感じるまでには、少し時間差がある。この間を取り持つのが、下味の仕事である。今回は、ポルチーニ茸と麹の出汁で炊くことで、それがなされるようだ。

…え、ポルチーニ?

ポルチーニ茸といえば、イタリア料理で使われる、高級食材じゃなかったっけ?世界三大キノコに数えられ、トリュフや松茸と肩を並べる存在のはず。そんなポルチーニが、里芋の下味。

いや、べつに自然界の食材に貴賤はないと思うが、この配役には、さすがに里芋もびっくりしていると思う。プレッシャーはなかったのだろうか。里芋に聞いてみたい。

そんな中継ぎを経て、やっと、米粉の衣で揚げられる。ここでも、日本を代表する主食が、里芋の引き立て役という配役になっている。なんなんだこの世界線は。

(ちなみに、衣にはたぶんゴマも入っていた。米粉の風味の合間に、ゴマの香りも漂わすとは…!)

そうやって、丁寧に丁寧に姿を変えた里芋は、文献の通り、ねっとりホクホクで、これまで想像しえなかった主役のような風味をまとっていた。「あ、里芋ってここまでいけるのか」と、これまでもっていた景色が変わった。

(まるでソシアルナイトが、パラディンにクラスチェンジしたようだった。イーブイがニンフィアに進化した、と言ってもいい。届く範囲が限られる比喩。)

そもそも、OyOyで使われる野菜たちは、蒸したり揚げたりするだけでおいしい。実際、ウチではそうやって食べている。

けれど、今回のような非日常的な手間と工夫と、そこに含まれるアイデアは、これまで知らなかった野菜の一面を教えてくれる。

繰り返すが、「あ、里芋ってここまでいけるのか」という驚きが、この料理のおいしさすべてを物語っていた。そしてそれは、作り手の野菜に対する理解度の深さ(仲良し度)を、背景にもっている味でもあった。ぜひ、また食べたい。「ぜひ」とは、「なにがなんでも」という意味である。

それとあと誰か、おかわりシステム導入志願書に署名を。

〈追伸〉
里芋とペアになっていたマッシュルームさん。もちろんあなたのことも、忘れてはいません。見た目からは想像できないジューシーさを担当するあなたがいたからこそ、里芋のホクホク感との対比がうまれ、ひとつの料理として完成していました。「シャンピニオン・ド・パリ(Champignon de Paris)」と呼ばれるあなたの気品があったからこそ、隣にいた里芋も、あかぬけたんだと思います。

#4 べつべつ

思えば、はじめて一人でOyOyに来たかもしれない。いつもはだいたいpino(奥さん)と二人で来る。自分の中での「ごちそう」って、一人で食べるのにはちょっと申し訳なさがあるというか、せっかくなら一緒に食べたい、という希望の方がつよい。

でもこの日は自分だけが休みで、OyOyのごはん食べたい!となっちゃったのでしかたない。お昼の時間を少しずらして向かった。

基本的に料理は、誰かと一緒に食べる方がおいしいと思っている。「これおいしいなぁ」という共有が、味以外のおいしさを増幅させる。

でも、この日は一人。おいしいねの共有はできない。隣の人に、おいしいですよねぇ〜というキャラではない。

ならばできるのは、一人で味わい、内省しながら、メモをとって食べること!(はたからは、スマホ片手にネットでも見ながら、ながら食いしているように見えるが、そうではない。)

注文を済ませ、料理が来るまでの時間はもちろん、メニューに載っている文献を読み込む。

今回は12月のプレート。ザ冬野菜。その中から二品をご紹介。

・かぶとリーキ  米粉フリット  みかんの香り

「たまねぎ麹を揉みこんでうまみを引き出したかぶと、リーキ(西洋ねぎ)をさっと揚げました」

文献によると、かぶとリーキは、たまねぎ麹で揉み込んであるらしい。このていねいな仕事がOyOyだ。

おそらく、サクッとした食感と、衣の香ばしさ、そこからかぶの甘さが来るまでには、若干の時間差がある。ここが空白だと、一体感がなくなるというか、ただ「揚がったかぶ」になってしまう。このあいだをつなぐのが、下味。(いつも思うが、下味がぜいたく。)

また、衣にはコーンスターチっぽい香りを感じるので、食べた瞬間、早めに風味がやってくる。そしてこの風味がおさまりつつ感じる下味と、ゆっくりやってくるかぶの甘味。フリットとして、ひとまとまりの味というよりは、それぞれが担当を持ったリレーのようにつながっていく。揚げ物って、「パクっ!うま!」の方程式だけじゃなかったのか。

たぶん、ひとつひとつが大きいのも、リレー方式が活きるサイズだと思う。リーキも4-5cmくらいの輪切り(というより円柱切り)になっていて、「自分主役としてやっていけます!」という頼もしさを感じた。リーキの香味野菜としての主張の強さが、あっさりしたかぶといいコントラストになっている。

付け合わせのみかん塩は、上にどさっとかかっているのではなく、盛られたフリットたちの裏側にひっそりといた。はじめからアクセント強めでいくのではなく、ふた口め以降に追加される爽やかさが、変化を楽しませてくれる。あと色がかわいい。

クリスマスは、このフリットの盛り合わせがいい。

・グリーンサラダ ケールと冬の香り野菜マリネ

「冬のケールは苦味が少なく、肉厚で力づよいうま味と甘味があります」
「(マリネを)レタスがベースのグリーンサラダにたっぷりとトッピングしてお出しします」

「あ、サラダか」って思ったでしょ。「付け合わせのサラダか」って思ったでしょ。わかるよ、サラダってふつうの定食だと、付け合わせだもんね。飾りですか?ってときもあるし。まぁでもここはOyOyですよ。そんなわけないでしょう。

ケールと言えば青汁のイメージがあるかもしれないけれど、種類によってはサラダで食べられるものもある。また、アブラナ科なのでキャベツの仲間だけれど、他の葉野菜とは似ていない、独自の味がある。(これはカーリーケールかな?)

このケールも、葉っぱの中に味つけ担当がいるかのような、しっかりしたうま味があった。ぜったいグルタミン酸多いだろ。そして、厚みもあって食感がよく、サラダの重量級担当としては外せない存在になっている。

そんなケールにかかているのが、みじん切りにされた香味野菜のマリネ。説明には、ビーツ・にんじん・セロリと書いてあるけれど、たぶんぜったい柑橘も入っている。ぜいたくな、お酢(酢酸)と柑橘(クエン酸)の、二重に香る酸味がある。

そしてこの軽さが、重量級のケールにいいアクセントを加え、飾りじゃないサラダができあがっている。マリネの味を追いかけ追い越していくケールのうま味。これが食べ放題のお店はどこですか?

あ、それでですね、これで終わりじゃないんです。もうひとり、レタスもいるんです。こっちのレタスは、イメージ通りあっさりした味で(つまり軽量級)で、これがケールとよい対比になっている。

ケールとマリネのコンビは、ケールが主役。一方でレタスとマリネのコンビは、マリネが主役になるような構成。ひとつのサラダで、マリネというトッピングの、ふたつの表情が見られるなんて、まぁこれがOyOyですよ。

(ただ書きながら、あれ、もしかして、ぜんぶまとめて味わうものだったのか?と思わなくもない。)

別々に食べちゃったけれど、そうやってどんなふうに食べようかと考えたり、試したりできるのが、一人で食べる楽しさだ。会話をするより、頭の中はいそがしいのだ。

#3 そもそも

そもそもアイデアとは、「既存の要素の組み合わせ」と言われる。

これは料理にだって言えるだろうし、OyOyにだって言える。そう考えると、前回紹介した「ぜんざい」だって、なんだこのとんでもない組み合わせは!と思ったけれど、なにかしら元になるアイデアがあるはずだ。

そしてそれを感じることができれば、よりOyOyの料理を楽しめる。そう思い、調べてみることにした。あぁもしかしたら、これは企業秘密に迫ってしまうかもしれない。

まずは参考文献(料理の説明書)を振り返る。

【甘酒とココナッツのぜんざい】
自家製の甘酒に豆乳とココナッツミルクを加えて作ったべースに、キウイのジャムを加えてつくったあんこ、レモンのコンフィ、香ばしく焼いたもちをトッピング。
甘酒のさわやかなお米の甘味と小豆のホクホクとした食感、ココナッツやキウイのトロピカルな香りが華やかでたのしい、お正月にぴったりのデザートです。

ここで注目したいのは、やっぱり「ココナッツミルク」。甘酒や豆乳などは、普段ぜんざいに入れないとしても、和食として馴染みがある。しかしココナッツは、和食ベースでアレンジを考えたとしたら、登場はしない。きっと、ここがポイントになるはずだ。

そして、ココナッツをよく使う地域といえば、東南アジアのイメージがある。よし、そう予想して、さっそく検索した。

「ぜんざい アジア」(なんてシンプルな検索ワード!)

すると、検索結果に出てきた以下のキーワードたち。
「ベトナム風ぜんざい チェー」「チェーはベトナムデザートの定番」

チェー!?ベトナム風ぜんざい!?

これはもう、当たりじゃないか?
ココナッツミルクを使い、「ベトナム風ぜんざい」という言い方まである。これは当たりでしょう。企業秘密に触れてしまった。

ただ、一応もう少し確認したいとも思う。チェーについて調べてみる。

チェーとは、
「ベトナムを代表するデザート」「甘いスープのようなもの」「温かいものと冷たいものがある」「専門店から屋台まで幅広く売られている」「定番は豆や穀類を使ったもの」

おぉ、まさにぜんざい。

さらに、
「本来は温かいもの」「もともとは行事食」という記述もあった。

料理としての構成やポジションも含めて、日本のぜんざいと通じるところが多い。これはもう正解でしょう。

ただ一方で、チェーは日本のぜんざいよりバリエーションが多い。パフェっぽかったり、タピオカドリンクみたいなものまで、「チェー ナントカ」と呼ばれている。OyOyぜんざいは、そういう方向性ではない。

つまり、日本のぜんざいと、チェーの基本部分(ココナッツ)を掛け合わせたもの、ということか。

でもそうなると、キウイジャムや、レモンコンフィなどが気になる。これも、よくチェーに入るものをピックアップして加えた、という理解でよいのだろうか。

そう疑問に思いつつ、そういえばベトナム料理って、どういう特徴があげられるのだろうと思い、次はそれを調べてみた。

すると、
「複雑な味の組み合わせ(一皿でさまざまな味を盛り込む)(塩・酸・辛・甘・コク)」「いろどりを大切にする(黒・赤・緑・白・黄)」「香りを大切にする(食材+香ばしさ)」と出てきた。

おぉ!これはもう検証するまでもない。キウイの緑も酸味も、レモンの黄色も苦味も香りも、シェフの気まぐれではなく、おいしさを担当する役割をもっていたのだ。目に映るものを片っ端からファッションに取り入れてしまった若気の至り、ではなかった。

作り手の「おいしい」の実現にはアイデアがある。そしてそのアイデアには、もとになる「材料」がある。これは、いくつかの「食材」を組み合わせてひとつの「料理」ができるのと同じ構造だ。おいしい料理というものは、いいアイデアも一緒に食べているのだと思う。これこそ、きっと企業秘密だ。

(なお、本稿はすべて想像です。)

#2 そうそう

われわれが、OyOyのおいしさに迫るために必要な資料がある。それは、お店のメニューに書かれている説明文だ。(インスタグラムに載っている場合もある)

例えばこんな感じ。

【甘酒とココナッツのぜんざい】
自家製の甘酒に豆乳とココナッツミルクを加えて作ったベースに、キウイのジャムを加えてつくったあんこ、レモンのコンフィ、香ばしく焼いたもちをトッピング。
甘酒のさわやかなお米の甘味と小豆のホクホクとした食感、ココナッツやキウイのトロピカルな香りが華やかでたのしい、お正月にぴったりのデザートです。
(2022年12月30日投稿分より引用)

レシピ本などがない現状においては、これが唯一の公式解説であり、僕はこれを、おいしさの秘密に迫るための、重要参考文献と呼んでいる。各自、食べる前には熟読するように。(この一覧をまとめたものがほしい)

さて、いま紹介した「甘酒とココナッツのぜんざい」。これは前回僕が、「おいしさに衝撃を受けた」と書いたもの。なので、推し活をはじめるにあたって、まずはこのぜんざいを紹介したい。

先ほどの文献を読むとわかる通り、これは「正月のぜんざい」だ。けれど使われている材料は、実家で食べていたあのぜんざいとは、明らかに様子が違う。ココナッツ、キウイ、コンフィ…田舎から急に都会に出てきて、目に映るものを片っ端からファッションに取り入れてしまった若気の至り、みたいな雰囲気が漂う気がしなくもない。

しかし、それは杞憂に終わる。僕が食べた当時に書いた日記があるので、それを見てみよう。

自家製甘酒に、ココナッツミルクと豆乳を加えたベース。具は、香ばしい焼き餅。トッピングには、キウイジャム入りあんこと、レモンのコンフィ。添えに塩味の昆布。はい?と思うでしょう??ごちゃ混ぜインパクトスイーツかと思うでしょう??でも違うんです。

はじめましてなのに同居する安心感と、調理科学の上に建つ頑強性と、ギリギリ立っているジェンガ後半戦のようなバランス感覚。食べながら「これは天才」と言っちゃうおいしさでした。

「ココナッツの油脂分で土台を作って甘酒とあんこという甘々コンビに、キウイの酸味を合わせることで… 」
感動したときには、ナゼウマイカ?を語り出すというクセも発覚するくらいです。
OyOyさん、これがお正月限定って寂しすぎますってー(2023.1.5)

年明けそうそう、だいぶ浮ついている。このときは友だちを含めた4人で食べに行ったのだけど、食べながらずっと「これは天才」と連呼していた。なにをそんなに、と思うかもしれないが、ちゃんと理由はある。

そもそもぜんざいは、小豆と砂糖の「甘味」を楽しむ料理だ。塩を入れたとしても、それは甘みを引き立たせるものであって、味覚的なおいしさのほとんどを「甘味」が構成していることには変わりない。

しかし、OyOyぜんざいは、この構造をリノベーションする。ココナッツミルクとキウイ。油脂と酸味。コクとアクセントと言い換えてもいい。ヒトがおいしさを感じる要因を、臆することなく加え、ぜんざいの新しいおいしさを問うてくる。

しかも、このふたつを活かすために、もともと強い甘さをもつ砂糖を、やさしい甘さの甘酒に変え、味のバランスを整えている。このセンス!

さらに、酸味を足すと言っても、柑橘系をのせるだけではなく、あんこに、キウイジャムを入れちゃう。ぜんざいの人格部分であるあんこに、もう酸味を加えちゃう。このセンス!(食べたことある?キウイジャムを入れたあんこ。僕はこのあと家で作って、パンに塗って食べたよ)

文献には「トロピカルな香りが華やかでたのしい」とあるけど、まさにその通り。こんな感情が動くものを、楽しいというほかない。年が明けて、せっかく外で食べるのなら、家の落ち着いた味とは異なる「ハレのぜんざいを」という作り手の思いが、思い出しても伝わってくる。

そしてあまりにおいしいと、ヒトって二杯目を考えちゃうらしい。(もっと食べたい、まだ食べられるもん…)食べながら、そう内省していた。自分でびっくりする。でも、全員が食べ終わったタイミングで、次の予定もある場面で、追加注文する勇気はなかった。(ほ、ほら限定商品の買い占めはよくないし)

きっと、このときの腹六分目ぐあいが、今も僕を動かしている。OyOyの方向に。

(※年末年始メニューなのであしからず!)

#1 おいおい

京都に「本と野菜 OyOy(おいおい)」、というお店がある。僕はここのファンだ。ファンなので、結論を言ってしまえば、ここの野菜料理がめっちゃうまいから、とりあえずみんな食べた方がいい、早くいってらっしゃい、こんなものを読んでいる場合ではない、ということに尽きる。

ただ一方で、OyOyの料理について書かれたブログのようなものは、見かけない。OyOyというお店に対しての、取材やインタビュー記事はある。でも個人的なものが見当たらないので(僕が見つけられていないだけだったら、ゴメンナサイだけど)、だったら自分が書いてみてもいいのではないか。そう思ったことが、これを書くきっかけだ。

ようは、自分が好きなものを、他の人に伝えようとしている。もしかしたら、これが「推し活」というやつかもしれない。初めての経験なので、いったいどんなテンションが適切なのか分からないが、とりあえず書き進めてみよう。

改めまして。
こんにちは、まーしーと申します。

2020年6月にOyOyがオープンし、初めて行った日は覚えていないけど、2023年1月に食べた「甘酒とココナッツのぜんざい」のおいしさに衝撃を受けた。そこからすっかり、ステータスが[虜]状態だ。

OyOyは、坂ノ途中と、鴎来堂(おうらいどう)が共同運営しているお店。そして僕は、坂ノ途中の関係者の関係者という立場にいる。つまり、部外者である(友だちの友だちは、知らない人と同じ理屈)。

ファンとして少しチョーシに乗りたいときは、「あ、まぁちょっと知り合いが…」と関係者風を装うが、ようは、ただのお客さん。内部のことは知らないし、宣伝として書いているわけでもない。ステマ(実は公告なんかいっ!)が厳しい昨今なので、ここははっきりさせておこう。(むしろ案件お待ちしております。)

自慢じゃないが、これまでの実績としては、自宅で「すべての飲食店がOyOyになればいいのに」と言って、家族を驚かせたことがある。今も撤回するつもりはないが、せめて、家の隣に移転してほしい、とは思っている。

また、通奏低音としては「わたしをOyOyにつれてって」。これに尽きる。もちろん、僕よりも高頻度で通う常連さんは、たくさんいる。でも、頻繁に行けない分、「わたしをOyOyにつれてって」と思っている回数は多いはず。「お昼どこか食べに行く?」と聞かれれば、まずは「おいおい」と答えている。(家から電車と徒歩で40分もかかるなんて)

それともうひとつ。
僕は普段、主に坂ノ途中の野菜を食べている。こちらも、初めて食べたものは覚えていないが、とりあえず「え、うまっ、こんなんもう、焼くだけでいいやん」と言った。

そしてそこから本当に、野菜を切って焼くだけ、塩や味噌をつけるだけ、油で揚げるだけなど、家ではそういう料理が増えた。これまで何かと「食」に関わってきた自分としては衝撃的なできごとで、調理、味付け、塩分など、いろいろな価値観がひっくり返った出合いだった。

「そうか、丁寧に育てられた野菜は、もう完成しているのか。わざわざ手の込んだ料理をしなくても、ピークを迎えているんだ。」

しかし!
そんな新しい価値観を、またもやチャブ台返しする出合いが訪れる。はい、それがOyOyです。

「は?なにこれ、うますぎるやろ。おんなじ野菜やんな?どういうこと?」
味覚の満足度が脳の理解を超えると、なぜか文句みたいに褒めるらしい。

こうして、すっかりファンになった僕は、ことあるごとに「おいおい…おいおい…」と呟くようになっていく。

今は、野菜のおいしい食べ方を知りたい、野菜の可能性と、それを実現させるアイデアに触れたい、少しでも真似して、家でもよりおいしく食べたい、そんなことを思いながら通い、食べ終わった瞬間から、次に行ける日を楽しみにする日々を過ごしている。