

答えがあるものって、考えるのをやめちゃいがちだよなぁ。例えば1+1がなぜ2になるのかって、たぶんちゃんと考えたことはない。数学的な話は極端かもしれないけど、じゃぁ体内で糖質は1g当たり何キロカロリーのエネルギーを生む?という問題に対して、4という答えを知ると、それで満足しちゃうというか、なぜ4なのか?と考えることは稀というか。
まぁ学問的な場合は、ある程度「こういう結果になるから」という仮の答えを持つことで、どんどん学びを進めることができるのだろうけど、これを趣味の範囲にまでもってくると話は変わってくる。
例えば映画を観た後で、この作品はこういうことを訴えているとか、監督は本当はこれを伝えたかった、みたいな意見に触れ、それをこの映画の「答え」だと思うと、もう自分はなにも感じなくてよくなる。「答えのある正しい鑑賞」に必要なのは、感受性よりも、確認能力にある。
僕が子どものころから、「この作品にはこういう裏話があって」みたいな情報はあったけれど、この頃はよりその正しさを強調したものに触れることが多くなった。(このインタビューでこういう発言がされている、みたいな引用がしやすくなったからかな)
そういう情報にすぐ触れられるのは嬉しい面もあるのだけれど、あまりにそれを「答え」だと思ってしまうと、自分の感想っていらなくなる。
言い換えると、自分が何かを感じたり考えたりする労力って、「答え」を持ってくると節約できるわけだ。
そうすれば、たしかに時短にはなるけれど。
自戒を込めて言うならば、拾ってきたたくさんの答えよりも、自分が感じたことから考えた答えっぽいものを、少しでも多く持っている人でありたいなと思う。

今日もお越しいただき、ありがとうございます。自分だけの感想を言いたい…!
| 記念日 | 縁結びの日 |
| 元号 | 令和8 |
| 和風月名 | 霜月 |
| 二十四節季 | 霜降 |
| 七十二候 | 楓蔦黄 |
| 六曜 | 仏滅 |
| 旧暦 | 9月26日 |

