

自分が好きなことや興味があること、もしくは仕事なんかで担当していることに対して、自分は「知らない側」と考えている場合と、「知っている側」と考えている場合がある。
例えば僕の場合、栄養の勉強を始めたときは「知らない側」だった。もちろん今も気持ち的には知らないことばかりではあるのだけど、ある程度のところで資格をとると、知っている側として見られるようになることが増える。
べつに資格とかじゃなくても、仕事や生活の中での立場上、自分が知っている側であることを求められることはある。習い事の先輩後輩や、家族の中での関係性でも生じる。
自分がそれを知らない側と認識しているとき、知らないことを知っていくのは比較的楽しい。新しいことを知ることは、加点のように思える。
でも、自分がそれを知っている側だと認識すると、知らないことは、知ってなきゃいけないことに変わることがある。これまで加点の材料だった知らないことが、減点の項目になってしまう。こうなると、知らないことを知る楽しさは、けっこう減る。知ったとしても、マイナスをゼロに戻すような労力に思える。
こんな場面になったとき、思いのほかヒトは問われる。
それでも知らないことを知ろうとするか。もしくは、今知っていることだけで知らないことの答えを出そうとするか。
おそらく前者で居続けられる人がプロなのだろうと思う。あえて言うなら、見栄を張って知っている側であろうとする後者が素人ということか。
でも外見はどうであれ、自分の中の気持ちとしては、ずっと「知らない側」でいたっていいはずだ。立場上、知っている側を求められることはあったとしても、それは知らないなりに知っていることとして答えて、無理に知っている側になろうとしなくてもいい。
一流の研究者などは、他者から見たら「知っている側」だけど、本人からしたらずっと「知らない側」でいられる人のことだと思う。そんなふうに、自分の日常生活の中で考えても、ずっと「知らない側」という気持ちで進んで行ってもいいはずだ。
「知らない側」でいることは、ちょっと心細いかもしれないけれど、楽しいはず。

今日もお越しいただき、ありがとうございます。「初心忘れるべからず」ってこういうこと?
| 記念日 | 世界食料デー |
| 元号 | 令和8 |
| 和風月名 | 神無月 |
| 二十四節季 | 寒露 |
| 七十二候 | 菊花開 |
| 六曜 | 友引 |
| 旧暦 | 9月6日 |


