

とくになにもなかったなぁという日は、なにを書けばいいのだろうと悩む。わかりやすい「これ」がないので、いろいろ一日を振り返りながらなにかを見つけないといけない。これがなかなかたいへんだ。
一方で、出かけた先でいろいろあった日も、なにを書けばいいのだろうと悩む。わかりやすい「これ」が多すぎて、どれを選べばいいか迷うし、ひとつひとつのことを頭がまだ処理しきれていない。こちらもなかなかたいへんだ。
そう思うと、ちょうどよい日記を書くのにちょうどよい日というのは、ほとんどないのではないだろうか。いつもなにかしら悩ましい。
そして書けたとしても、過不足なくちょうどいい!と自分で思える日は、これまたほとんどない。さらに、誰か他の人が読んでおもしろいと思ってもらえる日もほとんどないだろうし、そう思っておいた方が無難ではある。
日記というやつは、ほんとに悩ましいやつである。
ただ、それでも日常のなにかを、なんとか残そうとする行為である日記には、独自の効能があるのだろうし、言ってしまえば「生きていることの実感」を最も感じるジャンルなのだろうとも思う。だから書く人がいるのだろうし、読む人もいるのだろう。途切れることなく。
日記というやつは、ほんとに悩ましいやつである。

今日もお越しいただき、ありがとうございます。生のプルーンが食べられて嬉しかった日の日記。
| 記念日 | コスモスの日 |
| 元号 | 令和8 |
| 和風月名 | 長月 |
| 二十四節季 | 白露 |
| 七十二候 | 鶺鴒鳴 |
| 六曜 | 大安 |
| 旧暦 | 8月4日 |


