

先日pinoが『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』という本を借りてきた。名前は知っているし、なんなら名作だということも、書かれている内容もなんとなく知っている。たぶん誰かの本紹介動画で観たのかも。僕は「いい本借りてきたなー」と言った。
pinoが読み終わり、返却期限までもう少し余裕があるので、「marcyも読んだら?」と言ってくれた。「はじめに、で、既におもしろいよ」と。
そんなわけで、はじめにを読み、第一章を読んだのだけど、そこで書かれているこの本のタイトルの由来に差し掛かったとき、「あ、これ読んだことあるわ」と気づいた。今感じた「そういう由来だったんだ!という驚き、過去にしたことあるわ」と。
今使っている図書館で借りた本リストには載ってないので、きっと相当前に誰かから借りて読んでいるはずだ。
それに気づくと、続けて「あぁたしかこの本で初めて、日本人が日本に住んでいるときの人種差別のされなさ、みたいなことを考えたな」と思い出した。
ということは、これまでずっと読んだことは忘れていたけど、それを考えた履歴みたいなものは無意識に残っていて、今の考えに影響を及ぼしていたのかなと思う。大げさに言うなら、血肉になっていた、ということだ。薄いけれど。
普段の読書もそうだし、動画や勉強でもそうだけど、そこで見聞きしたもののほとんどは、忘れていく。少なくとも意識下からはすぐになくなる。そこにはずっと儚さや無力感が伴っていたのだけど、今回のことで、思ったより無意識下では覚えてるじゃん、と思えた。
すぐに思い出したり、言葉で説明したりできなくても、土壌がほんとうに少しずつ育っていく、みたいな堆積の仕方が脳内にもあるのだろうなと、めずらしく自信になった。

今日もお越しいただき、ありがとうございます。ということは、すぐに忘れるとしても、好ましくない方の見聞きの影響もあるということだろう。
| 記念日 | 奴の日 |
| 元号 | 令和8 |
| 和風月名 | 葉月 |
| 二十四節季 | 大暑 |
| 七十二候 | 大雨時行 |
| 六曜 | 仏滅 |
| 旧暦 | 6月23日 |


