

日記というのは、「何が書かれているか」(その人が日常の中で何を拾っているのか)が、おもしろさのひとつだけど、同時に「何が書かれていないか」も、同じくらい書き手のことを表している。
例えば僕の場合、しんどかったことや嫌だったことなどは、ほぼ書かない。それは、ここに書いていることが公開前提であるということも大きいけれど、それ以上に自分が読み返したときにおもしろいと思わないからだ。(書いて発散するということもあまりなく、だいだい内省で処理している感じもある。)
誰かの日記を読んだときにも、「こういうことを拾う視点はおもしろいなぁ」と思うのと同時に、「こういうことは書かないんだなぁ」と思ったりもする。むしろその「書かれていないこと」が、その人の見せ方だったり、在り方だったりするのかなと想像する。
今回読んだ本だと、体調のことは書いても、具体的な病気のことは書かないんだなとか、基本的に人の名前は出さずに代名詞を使うんだなとか。あと、内側からよりも外側から見た自分を書くんだなとか。こういう特徴から、その人が見えてくるのがおもしろい。
もちろんそれは編集としての見せ方かもしれないけれど、それも含めてその人が表れている。日記内でのキャラを作っていたとしても、それで外に出すという意思決定が、もうその人を表している。
日記ってルールがとてもシンプルな分、そうとうその人がにじみ出ちゃう文学だなぁ。

今日もお越しいただき、ありがとうございます。日付という締切がそれを生んでいるのがおもしろい。
| 記念日 | ラブレターの日 |
| 元号 | 令和8 |
| 和風月名 | 皐月 |
| 二十四節季 | 小満 |
| 七十二候 | 蚕起食桑 |
| 六曜 | 仏滅 |
| 旧暦 | 4月7日 |

