

「サツマイモはその甘味のせいで主食から嗜好品的な位置づけに変わり」「逆にジャガイモは幅広い料理に応用できることから、一般的な食材として親しまれるようになった」
これおもしろいなぁ。たしかに今の感覚だと、サツマイモはもともと甘いのでどんな料理にも使える食材という感じはしない。対してジャガイモは自由に味がつけられるので、常備菜としての感覚がある。
でもこれって、現代の料理が、「食材に味をつけて料理名がついている献立を作ること」になっているからであって、「今日手に入った食材を焼くだけ揚げるだけして食べる感覚」ではないからだと思う。
前者の場合は、たしかに味の主張が少ない食材の方が使いやすい。でも後者の場合は、食材がしっかり味を持ってくれていたほうが、焼くだけでおいしいのだからありがたい。料理とはどういうものか?というその時代の捉え方によって、世間からの評価がぜんぜん違ってくるわけだ。
この感覚は、ヒトにも当てはまりそう。わりと周りの雰囲気や会社に合わせられる人が評価される時代もあれば、自分は何者かをはっきりさせている方が評価される時代もある。現代は後者かなぁ。
そう思うと、サツマイモタイプがジャガイモを求められても馴染めないし、ジャガイモタイプがサツマイモを求められても見つからない。
書きながら、平安時代の「美人」が、今とは違う感覚なのとも同じことかと思った。
評価したりされたりするときのその指標というのは、常に大きくゆっくりと動いているし、みんなそれに巻き込まれながら過ごしているのだろうな。

今日もお越しいただき、ありがとうございます。サツマイモを食べながら思う。
| 記念日 | 本みりんの日 |
| 元号 | 令和7 |
| 和風月名 | 霜月 |
| 二十四節季 | 小雪 |
| 七十二候 | 朔風払葉 |
| 六曜 | 友引 |
| 旧暦 | 10月11日 |


