

「食物に有毒な物質が含まれていれば病気になることは誰でも容易に理解できるが」「食物中にごく微量の物質が欠けていても病気になることを人々に納得させるのは困難」
ビタミンという栄養素は、生きるためにぜったい必要だけど、一日に必要なのは1mgとか、種類によってはマイクログラムの単位なので、体感からするとあってもなくても差がない。それでも今の僕たちが「必要」だと感じられるのは、そういう概念が発見されて、そう習ったからだ。発見されてない時代や、みんなの当たり前になっていない時代を想像すると、確かにその大切さを理解するのはむずかしい。
こういうのって、ほかのことにも言えるよなぁ。
例えば、「悪意をなくそう」はわかりやすいが、「善意が足りない」はむずかしい。なにかの仕事をするチームがあったとして、悪意によってうまくいかなくなることは見ててわかるが、実はちょっとした善意が足りないからうまくいっていないのだ、というような理解はすぐできないと思う。
だって、どういうものが善意か定義されていないし、一人一日あたりどれくらいあればいいのか想像もされていない。けれどもし、その機能と必要量がわかるようになって、みんなの当たり前になれば、ものごとの見方はぐっと変わる。
目標や期限や報酬はしっかり用意しているのにチームがうまく機能しない、みたいな場合って、ビタミンのような、体感できないくらいの「微量だけど必須のもの」が不足しているから、なんてこともあるんじゃないか。
栄養学における必須の栄養素も、まずはたんぱく質などの「大きなもの」から発見されていった。そう思うと、いろいろなジャンルにおいて、まだ発見されていない(当たり前になっていない)小さなものが、いっぱいありそうだなと思う。

今日もお越しいただき、ありがとうございます。ビタミンは直接エネルギーにはならないが、エネルギーをつくるためにはぜったい必要。
| 記念日 | ボタンの日 |
| 元号 | 令和7 |
| 和風月名 | 霜月 |
| 二十四節季 | 小雪 |
| 七十二候 | 虹蔵不見 |
| 六曜 | 赤口 |
| 旧暦 | 10月3日 |


