

曹洞宗の宗祖である道元は、「全ての行為が修行である」という考え方だったそう。はじめこれを聞いたとき、かなり意識高い系の僧なんだなぁと思った。
でも考えてみると、これって「無駄なことがない」ということでもあるのか。
例えば、なにかの待ち時間とか、皿洗いとか、後片付けとか。労力をかけたけど結果がでなかったことや、誰にも評価されない行為とかも。
一見、無駄だなぁと思うことでも、それとどんなふうに向き合うかを考えて実行すれば、べつに修行とまではいかなくても、自分にとって意味のあることにはできる。
「全ての行為が修行である」という態度は、意識が高いというより、丁寧な感じなのかもしれない。
一方で、最近はコスパやタイパ、生産性なんて言い方がされるけど、これらの考え方の前提には、それらの足を引っ張る「無駄」がある。できるだけ無駄なく賢くいこうという態度であり、「全てが修行」とは反対な感じがする。
そう思うと、「生産性」などの考え方は、一見意識が高いフリをしているけれど、「できるだけ無駄を減らしましたよ」という、言い訳が少し混じっている態度な感じもする。
出汁をとったあとの昆布があったとして、なにかに使えないかな?と考えるのと、もう味ないんだから捨てるのが正解でしょ、目的はおいしい出汁をつくることだから、みたいな違い。
う~ん、ここまで書いてみて、あんまりうまくまとまらないなぁ思っているけれど、まぁこれも修行ということにしておこう(笑)

今日もお越しいただき、ありがとうございます。無駄を減らすとは、切り捨てることではなく、捉え方を変えること。
記念日 | 温度計の日 |
元号 | 令和7 |
和風月名 | 皐月 |
二十四節季 | 立夏 |
七十二候 | 蚯蚓出 |
六曜 | 友引 |
旧暦 | 4月17日 |
