

海外へ行く友だちの送別会ということで、久しぶりにわが家に人が集まった。自分たちを入れて9人。リビングにあるものをできるだけ片付けてスペースを確保したのだけど、わが家ってこんなに入れるんだな。
企画としては、お菓子を持ち寄ってのバイキングと、みんなでできるゲームを用意し、あとは自由におしゃべりをして過ごした。とても楽しかったのだけど、終わってから思い返せば、もうちょっとこうしたらよかったかなとか、あそこでこういう話題を話せればより盛り上がったかなとか、しぜんとひとりフィードバックをしていて笑う。いや、ほんとに楽しかったのだけど、その感情と同時に、ちょっと悔しさみたいなものが起こっている。pinoに話したら「そんなこと考えてたの?」と笑っていた。おそらく、今回みたいな場に興味があるから、遊びっぱなしで終わらず、そういう部分を無意識に見ているのだろう。
でも改めて考えてみると、みんなが予定を合わせ、同じ場所・同じ時間に集まれたことが、すでに成功ではある。予定を合わせるためにはそれなりの動機が必要だし、そのための労力も必要になる。体調という運もある。それを各自が行い、その総和として送別会が開催できたという時点で、ある程度みんな満足している側面はあるはず。
集まってしゃべる。一見かんたんそうで、まだ何もないように思えるこの段階が、実は満足感の大部分を占めている。そしてそういう場としてわが家を使ってもらえるのは、ほんと嬉しい限り。見送るときにいつも言う「また気軽に遊びに来てー」は“マジ”である。
ただ、「あそこで、もっとうまく返せれば、盛り上がったのに…」と思ってしまうのもマジである。カンサイ人はこうやって成長しているのかもしれない、と思った。

今日もお越しいただき、ありがとうございます。場をコントロールしようとすると途端につまらなくなるので、流れと提案のバランスなんだよなぁ。
| 記念日 | 豆乳の日 |
| 元号 | 令和8 |
| 和風月名 | 神無月 |
| 二十四節季 | 寒露 |
| 七十二候 | 鴻雁来 |
| 六曜 | 仏滅 |
| 旧暦 | 9月2日 |

