

外国語で書かれた一冊の絵本があって、それを日本語に訳するとき、訳者によってそこに書かれる文章は異なる。
これは、原作という事象を、その人がどう解釈したのかという違いだと思う。何人かで同じ体験をしても、日記を書けばみんな内容が違ってくるのと同じだ。
もし、翻訳の方針として「限りなく直訳することがよい」という世界であれば、こういう違いはなくなっていくだろうし、AIに担当してもらうのが最も正解に近くなりそうだ。
でもそうじゃなく、解釈があることに、僕らはおもしろさを見出している。
少し話は変わるけれど、食べ物とその健康効果の関係を知るときなんかも、もうずっとエビデンス(科学的根拠)が重要視されている。これは、いろいろな研究の結果を蓄積して得られるものだけど、ひとつひとつの研究結果には、解釈が必要になる。
例えば、ヨーグルトは風邪を予防するか?を調べる研究をひとつ実施したとき、風邪をひいた人が何人、ひかなかったひとが何人、という結果は必ず出る。けれどこの結果から「予防効果があるかどうか」は、解釈になる。(もちろん、好き勝手に解釈していいわけではなく、それを慎重に判断する指標があるけれど)
つまり僕らは、結果という事実よりも、結果から得られる解釈を摂取しているわけだ。
外国語で書かれた一冊の絵本があって、それを日本語に訳するときの違いは、解釈の違いとして理解しやすい。
けれど同時に、日常のほとんどのことも正解不正解というよりは解釈の違いであって、僕たちはその中で、自分の解釈の正しさを探して主張し合っているようにも思う。
解釈が一致して共感できると嬉しい。一致しないと理解や距離が必要になる。けれど、自分と違う解釈を見つけて嬉しくなる場合もあるし、それがおもしろかったりするから複雑だ。
どうも意見が分かれるなというときは、今回の絵本のようにそれを並べてみると、原作の同じさと、解釈の違いを、落ち着いて理解しやすい。

今日もお越しいただき、ありがとうございます。という解釈をした。
| 記念日 | 水の日 |
| 元号 | 令和8 |
| 和風月名 | 葉月 |
| 二十四節季 | 大暑 |
| 七十二候 | 土潤溽暑 |
| 六曜 | 赤口 |
| 旧暦 | 6月19日 |


