

僕の世代は学生時代から携帯電話を持っていたので、「検索する」という行為が自然に身についている。これってどういう意味なんだろうとか、どんな由来があるんだろうとか、ちょっと疑問に思ったことをすぐ検索していたし、そういう好奇心が大切だと思っていた。(今はそれがAIに聞くに変わってきた)
この、検索すればわかるという感覚は、たくさんのことを知るという意味ではよいのだろうけど、無意識に「答えがある」という感覚も身についてしまっているのではないだろうか。
例えば和菓子を食べようとして、これは何を模しているのだろうとか、なにを表現しようとしているのだろうとかを調べると、だいたい納得いく答えが出てくる。すると、「答え」が見つかったと思って、ゴールにたどり着いた満足感がちょっとある。
でもほんとは、「で、自分はどう思うかのか、どう感じるのか」が大切だし、それが楽しさのはず。もっというと、その答えの周りにある余白に、自分ならなにを当てはめるのかという想像までして、やっと自分の感想と言える。
検索したら、桜餅をこの季節に食べる由来は出てくるけど、この寒い中で春を想像したときに自分はなにを思い浮かべるのか。それが、自分の感想になる。
調べることでちょっと満足していた自分に反省しつつ、多くのことが具体的に表現される時代に抗いつつ、自分の感想を探したいなぁと思う。

今日もお越しいただき、ありがとうございます。お店を検索したときも「評価という答え」より「みんなの感想」がほしい。
| 記念日 | 焼ビーフンの日 |
| 元号 | 令和8 |
| 和風月名 | 睦月 |
| 二十四節季 | 大寒 |
| 七十二候 | 鶏始乳 |
| 六曜 | 赤口 |
| 旧暦 | 12月13日 |


